私たちの年代は現代日本史における激動の時代 に育ちました。Pearl Harber に始まった第2次大戦 の2年前に生まれ、太平洋戦争の敗戦の翌年小学 校へ入学し、戦後の食糧難の時代に飢えを凌ぎ、 受験地獄を経て、東京オリンピックの翌年に大学を 卒業しました。大学在学中に安保闘争、卒業時に 大学紛争、インターンボイコット、大学民主化と学 閥支配への挫折を経験しました。私は53人の医学 部卒業生の中で唯一人米軍病院でインターンを し、その12人のインターンの中で唯一人母校に戻 れず、日本では将来はないと諦め、敗者復活戦の 積りでアメリカに人生をかけました。したがって日本 を出てから帰る気はありませんでした。 アメリカではSt. Louis で病理レジデントを修了 し、glass ceiling に遭遇し、州立カンサス大病院に 27年奉職後、テキサス州の市中病院に勤務して から西海岸のオレゴン州を最終の地に選びまし た。日本では病理は金とは無縁の基礎医学です が、アメリカでは半分基礎医学また半分病理診断 医として働き、貧乏に育った私にとって日本よりも 良い環境でした。1970年代に私達がレジデントで 渡米の際、日本からは毎年20~30人いましたが、 2,000年に入りその数毎年数人の状態です。自然 科学の一部である医学に国境があってはなりませ んが学問に生きるか死ぬかは本人の努力次第で す。先人としてもっと多くの日本の学徒が広く世界 に進出することを願って、アメリカのヤブ医者生活 を拙い自由詩でまとめてみました。 日本では主に集団での生活を描き、アメリカで は個人と個人との触れ合いと、アメリカ中を車で走 り回った記録を付け加えました。
Hinweis: Dieser Artikel kann nur an eine deutsche Lieferadresse ausgeliefert werden.
Hinweis: Dieser Artikel kann nur an eine deutsche Lieferadresse ausgeliefert werden.